はじめに、日頃より明治大学男子ラクロス部の活動にご支援・ご声援を頂いております、OB・OGの皆様、保護者の皆様、そして関係者の皆様に深く感謝申し上げます。
黒いウェリントンタイプのメガネがトレードマークで、口を開くと饒舌な言葉で人を笑顔にさせてしまう橋口温人君から回ってきました。4年ゴーリーの宮本桂太です。メガネを外し、丸いヘルメットをかぶると、人が変わったかのように静かになる彼の事を見られないと思うとなんだか寂しいです。
6/15の明立戦をもって、3年間と少しのプレイヤー期間が終わりました。終わってから2週間が経ち、率直に感じている事をできるだけ言葉にしていきます。
まず、あまり話した事がない体育会のラクロス部に入部したきっかけから話します。
自分は幼い頃から何かしらのスポーツに取り組んできました。幼稚園ではクラシックバレエ、小学校からはサッカーを始め、12年間フォワードとしてプレーしてきました。12年間フォワードとしてボールを追いかけ続けた奴とは思えない足の遅さですが、クラシックバレエで鍛えた体幹で、高校時代はなんとか試合に出る事ができていました。
そんな自分も、高校3年で12年続けたサッカーを引退した瞬間、日常が一気に変わりぽっかりと虚無感のようなものを感じていました。
大学に進学し、これが人生で最後の「部活」という、厳しく、熱量のある環境に身を置けるチャンスだと思った時、どうせならもう一度、自分の限界に挑戦してみたい。そんな想いでラクロス部への入部を決めました。
今振り返れば、そこまで高尚な志を持っていたわけではないかもしれません。
でも、多くの同期が退部していく中で、自分は「1つのことを続け、そこで何かを学び、成長していく」という当初の目標に向き合い続けてこられたことは、胸を張っていいことだと思っています。
凍った芝の上で受けるショット練、生田でイップスになりかけたクリライ、そんなキツい練習も周りに愚痴を言い合える仲間がいたから乗り越えられたかもしれません。
ゴーリーとしては2年生、3年生で数多くのBリーグの試合に出場し経験を積むことができた。
3年の最後にはAチームで2試合、リーグ戦に出場することができた。
でもそこで満足してしまっていたのかもしれない。
自分は、何を目指していたのか。
Aに上がること、チームを勝たせること、自分が認められること、
そのどれにも届かないまま、手を止めてしまった気がする。
去年のリーグ4戦目の日体戦までAチームで結果を残し続けていた城太朗が武蔵戦のメンバーから外れ自分がメンバー入りした時、城太朗が本気で泣いて悔しがっていたのを横で見ていたのにそこで慢心してしまった。
こんな自分だけど、今B、Cチームでプレーする子達に伝えたい。
いつチャンスがやってくるか本当に分からない事。
試合で訪れる1本のショット、1本のアシスト、1つのセーブが、チームを勝たせることだってある。
だから、毎日の練習は出来なくても、1日1回の6on6だけでもいいから大井でも駒一でも、試合で活躍する自分をイメージする時間を、少しでも作ってみてほしい。
それだけで試合に出た時の緊張度やプレーが変わってくるよ。
ゴーリーとして、最後の砦として試合に出てセーブし、会場が湧く、あの感覚。
ATのようにチームを華やかに勝たせることはできないけど、後ろからチームを泥臭く守って勝たせるゴーリーを選んで本当に良かった。
そんなゴーリーをやっていて良かったと思わせてくれたのは今までお世話になった、
いとしゅんさん、ナベケンさん、ライトさん、雄太さん、マサのおかげです。本当に感謝しています。
最後にゴーリー陣にメッセージを書いて終わります。
水野、遠山
お互いに絶妙な距離感の2人だけど、まじで上手いから自信持ってこう。ただ、メッジは防具の上に着てくれよ。
徳山
ここ1年の成長ぶりは半端ない。ひたむきに壁当てして質問しまくってたのを知ってるからやっと結果が実り始めて嬉しいよ。でもまだやれるぞ。
SGM米澤
1年半ブランク空いちゃったけど、もう普通にプレー出来てるから、ここから力をつけてこう!
でも女ラクみたいな格好で練習するのはやめてくれ。
城太朗
まずはありがとう。そしてすまん。
この4年間ほとんど一緒に居たけど、実は城太朗の成長曲線を一歩後ろで沿って行っているような感覚がずっとあった。最後一緒に最強のゴーリーチームを作ろうと言われたけど叶えられなかったね。でも持ち前のセーブ力は関東トップだとマジで思ってるから、最後の砦としてゴール守ってくれ。
AチームもBチームも気づけばもうリーグ戦です。
一戦必勝。
一瞬一生。
次はHuskies史上初の試みである社会人と学生の二種登録プレーヤー。加茂空也君です。空弥の熱いラクロス魂ブログ、頼んだぞ!
#2 宮本桂太