平素よりお世話になっております。
高校時代からの友人で、Huskiesで1番声の通る姉貴こと横田菜桜から回ってきました、4年MFの村井響と申します。
まずはじめに、日ごろから多大なるご支援とご声援を頂いているOB・OGの方々、保護者の方々、Huskiesの活動にかかわるすべての皆様に感謝を申し上げます。皆様のご支援のおかげで活動ができております。その支援に応えられるよう、努めてまいります。今後ともよろしくお願いいたします。
入学直後の生田の新歓食事会で、片山や水尾が発する関西弁を初めて聞き、大学生になったことを実感してからもう3年以上経つのかと思うと、時の流れの速さを感じます。
最近では2人の話を聞きすぎて、関西弁のなまり方でその人の出身県が大体わかるようになってきている自分の成長が怖いです。
同期の引退ブログを読み、私も自分の4年間を振り返ってみようと思います。拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
高校時代、サッカー部を引退後、附属校で受験がない自分は、何をすることもなく遊んでいた。目標もなく、毎日ダラダラと過ごしていた。今となってはちょっと勿体ない。
たしか2月くらいに、母親に「いつまでだらだらしてんの」と久々の叱責を受け、大学生活について考えだした。4年間ダラダラ過ごすのは嫌だな、という思いとサッカー部で目標まであと一勝届かなかった悔しさが最初に浮かんだ。
体育会に入ろう。
留学とかの選択肢もあったが、ほぼ即決だった。
最初は、サッカー部でMGやろうとか色々と考えていた。しかし、やっぱりプレーヤーとして何かに取り組みたい、自分自身で結果をつかみ取れるよう頑張りたい。そんな思いがあった。
調べていく中で、全員が大学から競技をスタートするラクロス部を見つけた。
これだ。
これもほぼ即決だった。
「自分は一から始めるラクロスでどれほど成長し、結果を出せるのか」
そんな期待を抱きながら、入部をした。
周りに負けたくない思いで、ほぼ毎日欠かさず壁当てに行った。クロスを触らない日は年末オフで旅行に行った時ぐらいだと思う。
しかし、ショットは遅いし、身体は弱い。練習中は、とにかく痛い。思い通りにはなかなかいかない日々だった。
先輩になんで痛くならないんですか?と何度も聞いた。
「慣れだね」「そんなに痛い?」というのがだいたいの回答だった。
やばい、辛すぎる。
でも、少しでもうまくなりたい。
その思いは常に持ち続け、練習内外で学ぶ姿勢だけは忘れずにいた。
1.2年の頃は、正直そこまでの実力が自分にはなかったと思うが、真面目に競技と向き合う姿勢を先輩方に買ってもらった。
1年チームではα、2年になるとたまにAチームで練習参加し、Bリーグでたくさんの経験を積ませてもらった。
また、育成コーチの颯太さんから18番をもらうこともできた。
ありがとうございました。
翌年、新3年のタイミングでAに定着できた。六大戦や最強決定戦で多くの出場機会を頂き、Aとして試合に出場できることの喜びを大きく感じるとともに、3年目にして初めて自分の成長を実感した。
しかし、その後のリーグ戦は、独特の緊張感、強度についていけていけず、ミスを繰り返し、完全に自信を失った。
自分はやっぱりだめだ。
チームのことを考えず、自分のミスや弱さに萎え、マイナスの空気をOF全体に伝播させ、練習の雰囲気を悪くしていた。周りを見ることができず、本当に申し訳ないです。
この時までは、チームスポーツなのに個人で何事も取り組んでいた。ただ、この経験があったからこそ、今年は周りを見て、上を向いてプレーすることができていると思う。
そして4年。
今年は、今まで先輩方にお世話になった分、何としてもリーグ戦で活躍できる戦力になって感謝を伝えたい。
昨年、自分の課題として見えた、筋力・体重のところは特に力を入れて取り組んでいた。ダッチもキレが増し、再び成長を実感していた。
だが、1月に最悪の怪我が発生した。
恥骨結合炎。
最初は少し休めば大丈夫だと思っていた。しかし、いくら待っても、股関節に痛みが走り、歩くのも、自転車をこぐのも痛い。
1人でいるときは、今まで積み上げてきたものが崩れていく絶望と不安しかなかった。
何事にもやる気が起きず、壁の回数も減った。Bチームで見学するようになり、このまま何となく引退ということも考えていた。
また1人の世界にこもった。
自分が怪我になった後からチームの6-6練習が始まり、チームごとの6-6ミーツも始まった。
正直、最初は惰性で参加していた。
しかし、ここでまた周りに支えられた。
ミーツに参加するたび、毎回のように「響さんここどうすればいいと思いますか?」とだいき、みき、こじたい、せいまを中心にBCの子たちが聞いてきた。
こいつらこんなに必死にラクロスと向き合ってるのか。
自分だけ何逃げてんだよ。
今まで先輩や周りの人に支えてもらっといて、逃げようとしている自分にその時気づいた。入部前の自分の目標もどこか諦めていた。それはしたくない。
そこからはとにかく今の自分にできることを探した。
動画を見てオフボールを極め、動かないでもできるクロスワークを高めた。
筋トレもできるとこから再開した。
その後、怪我も笠間さんやTR陣の支えがあって、どうにか治すことができた。
復帰後は、soや半年ぶりの6-6でBロングの殺人チェックに適応しながら怪我期間に極めたオフボールの動きを活かし、今はAで再びプレーすることができている。
この4年間を振り返り、いろんな人に支えられてここまで来たと思う。
本当にありがとうございます。
最後に少しだけ普段言うことはないメッセージを書きます。
両親
大学に入ってもスポーツをする自分を支えてくれてありがとう。部費は将来、返せたら返そうと思います。公式戦で活躍しているところをまだ見せれてないので、頑張ります。もう少しだけお付き合いください。
たかのぶ
高校サッカー部から7年?まさかここまで長く苦楽を共にするとはというかんじ。高校の頃はガキ大将のようなたかのぶが、頼もしいOFリーダーになるとは想像できなかった。頼りにしてます。
あさひ
実は、高3の冬に「野球部の山崎がラクロスやるってよ。」という高校の友達の一言でラクロスという競技を認識しました。あさひがいなかったらラクロスしてなかったかもしれない。ありがとう。大沢の体験会初日から一切追いつくことができずにここまで来ました。やっぱり君はすごいです。エースです。またアウトレット誘ってください。
じゅんや
何かと授業や自主練習一緒に取り組んできたと思う。最初は、不器用だったのに今はほんとに器用でラクロスがうまいなという思いです。私生活は不器用な方があっているのでそのままでお願いします。チームを引っ張り続けてくれてありがとう。
はると
1年の頃からいつになっても変わらないセンスの高さがうらやましいです。ただ、一緒に麻生で練習したりして、努力できるところもほんとに尊敬してる。いつも車を出してくれてありがとう。事故と警察には気を付けてね。
しゅんや
最近の6-6は一番息があっていると思う。二年間同じ親子班ですっかり考え方が似てきたのかな。しゅんやの足の速さはうらやましい限りです。
もとき
どのグランドも家から遠く、途中入部で、自分なら多分そこまでうまくなれないと思ってます。絶対リーグ戦点決めような。
脇
脇のライドや声かけがほんとにチームのためになってる。ありがとう。単位やばいと思うけど、頑張ろうな。
和樹
育成コーチありがとう。和樹と初めて会ったときはなんだこの関西弁パーマ野郎は。というかんじだったけど、赤松公園でたくさん練習一緒にしてくほんとに仲良くなれてよかった。また家お邪魔します。
やじ
BCコーチありがとう。怪我中、やじとプレーして、後輩たちのためにDF入ったり、工夫していて、そのリーダーシップや優しさが自分にはなく、尊敬してた。
大輔、しょう、あらた、りょうご、岩橋、然、はるひろ
ほんとに技術の高い、声も出る後輩たち。去年自分に足りなかったのはこれだなというのを痛感させられます。自分も負けないように頑張るけど、今年も来年も期待しかないから自信持ってプレーしてくれ。
環
こんな兄ですまんねいつも。毎日自主練行く姿を見て刺激もらえたよ。俺以上の活躍を期待しています。
MG・TR
いつもありがとう。怪我期間でみんながいなかったら、この部活は回ってないことを実感しました。ほんとにありがとう。
片山、よし
色々よく時間を共にして、悩みや笑いを共有できたこと本当に良かった。それぞれの立場でラスト最高の形で締めくくろう。
狛江・小田急
いつもの車の帰り道が練習のモチベの一つだよ。ありがとう。また飲もうな。
コーチの方々
休みの中、自分たちのために練習に来てくださりありがとうございます。ラクロス技術もメンタルの部分も二十歳を超えても未熟な私に、時には優しく時には厳しく、ご指導くださりありがとうございました。
初戦は負けた。
けど、まだここから。
去年の先輩たちが残してくれた経験を活かす。
次がファイナル4に向け、本当に重要な試合。緊張はする。当たり前。
でも、ほんとにいろんな人に支えてもらってここまで来た。今までの感謝の思いを全部力に変える。
技術で負けている面は一切ない。
気持ち、
気持ち勝負、それだけ。
勝つぞ。
次は、4年MGの松本佳奈です。普段は優しくほんとに頼りになるマネージャーですが、怒るとちょっと怖いです。ただ、そんな素直な性格が多くのプレイヤーから愛されています。彼女の熱いブログに期待します!
佳奈よろしく!
#18 村井響