ブログの提出日9日も遅れてしまい申し訳ございません。
課題の提出期限やテストの時間を忘れてしまい単位はどこかに飛んでいきます。
友達との遊びの集合時間は家を出る時間です。
このような感じで普段の自分は途轍もなくだらしない気分屋人間です。
「最近は」ラクロス一筋で頑張っている。
この夏は一度も海に行っていない(臨海や蘇我の途中で車窓から見える濁った東京湾は見た)。
それはおろか、一度も遊びに出かけていない。(写真フォルダはラクロスの動画かジムの画像が大半を占めている)。
ここからは長ったらしくまとまりがないので見たかったら見てください。
1年生の時の自分はというと、遅刻欠席サボりの落合博満びっくり負の三冠王。
元々朝が弱いってのもあったけど(中学時:朝練は起きたらたまに行く。高校時:関東大会初戦で寝坊。Etc…)、シンプルに眠かったり、わざわざ始発で行くのが面倒だったし、夜遅くまで遊んでたりしてだるいから起きたくなかったというどうしようもない理由である。
挙句の果てに、試合では点も取れるし、アシストできるし、どうせ一限抜けで1時間も練習しないから行く意味ないだろってあまい考えであった。
ただ、行った時は基本真剣にやっていたし、純粋にラクロスが楽しかった。
柄じゃないけど、同期の上手いやつらに負けないように、学校帰りや空きコマには狂ったように壁当て行って、北赤羽で一向に速くならない自分のショットを昨年のエースの方々に教わった。
一昨年の主将に憧れ、毎日動画見て、研究して、プレーをまねた。
着実に上手くなる反面
いつからか、
試合に勝っても点を取っても嬉しくも楽しくもなくなり、
負けても自分は通用してるしなって悔しくもなくなった。
そして、
4年生が引退した代替わりではAチームに割とあっさり入れた(入れていただいた)。
正直に話すと、こんなに簡単に入れることにガッカリしてそんなに嬉しくなかった。
さらに、この部に入って人生初の体験をした。
Bチームに上がれば、Aチームや周りに対しての不平不満が耳に入る。
Aチームに上がれば、Bチームを関係ない奴らのように扱う雰囲気。
「こんなチームで勝って嬉しいの?」っていう疑問の芽生えだ。
そんな当時のチームが嫌いだったから、Aチームで出てリーグ戦活躍したいとか思わなかった。
そんななかで、夏冬の屈辱を晴らすために気合いを入れてた同期試合のあすなろがコロナで無くなり、
仕方ないからAチームのリーグ戦に向けて頑張るかと思えば、体重足らないからってB落とされるし、
このままやってても意味ないし、どうせ2年時にまたAチーム上がってリーグ戦ちょこっと出て、3.4年時には当たり前に活躍するんだろうなって思ってた。
徐々になのか、ぷつんとなのか
ラクロスに対するやる気や刺激がなくなった。
今考えると、自分の弱さゆえの逃げである。
1年の3月頃からコロナ自粛で休み、そのまま部活に行かなくなった。
その期間は3年の8月までの約1年半である。
全部員が4年間で遊べる総数以上にひたすらに毎日一日中遊ぶ一年半。
BBQ、キャンプ、旅行、ドライブ、フットサルなど数えきれないほど行った。
予てからの友人との親交が深まるのに加え、新たな友達もめちゃくちゃできたし、色んな体験が味わえて刺激的で楽しかった。
ある日、
友人があげたインスタの投稿で遊んでるのがバレて、呼び出しされた。
かなり割愛するけど、何度もめちゃくちゃ怒られたし、なにより「信頼」を失った。
自分の中の「信頼」は上手かれ下手かれ試合に勝つために必要な存在であるかであった。
試合で結果を出すことが尺度であった。
でも、ここではきちんと練習に来ているかどうかであった。
そんな信頼ならいらないと思っていた。
蓋を開ければ、試合に勝つために「不必要な存在」に自分がなっていた。
チームとして、そもそも人間関係を構築する上での大切なものを見失っていた。
「一度割れた皿は元には戻らない」
強く実感する。
戻るきっかけは、再度部活に行くタイミングを見失っていたなかでの、晴雄さんからや何人かからの突然の連絡だ。
薄々感じていたのが、遊びは一時の楽しみはあっても、何か強烈に残るようなものではないこと。
改めて、本気になって取り組むことがないことが自分の性分にはあってないこと。
数多の人に迷惑をかけ、叱責され、助けられ、紆余曲折を経て戻ってこれた。
数多の条件のもと、練習に参加した。(次遅刻したら退部。次徴収遅れたら退部。ボールアップ、ゴール組み立て、集散ダッシュなど)
次の日起きれるか怖くて最初は眠れなかった。
誘われる遊びも断った。(あんま誘われなくなったし、会わなくなった)
自分と向き合い誰よりもやった。本当に。自信をもって言える。
その都度、後悔も増幅する。
全然身体とクロスが思うように動かない。
今ではチームの核である同期は見えないところへ、その他も見違えるほど上手くなっていた。
だから最後の一年は後悔しないようにすべてラクロスに費やすと決めた。
心機一転、もともとOMFだったがSSDMに変えた。
理由はいくつかある。
彼らと再度セットOFで試合に出る資格と実力がないこと
今までの明治には無かった攻守にわたるSSDMに1年間でなれると思ったこと
試合に出る上でこのポジションに入るほうがチームのためになること
一番地味なポジションで観ている人を沸かせたいこと
なにより、自分が一番下手な位置からスタートして、追う立場にあることにある。
DFを研究し挑戦し、頼りあるDFの仲間を追いかけ続けることが何とも刺激的で楽しい。
もっと成長してチームの勝利に貢献せねばならない。
そして、
ただの勝利ではなく、喜びを分かち合う勝利をしたい。
試合に出ていないメンバーも含めてだ。
そうでなければ意味がない。
今までのようにチームメイトからすら心から応援されないようなチームは嫌だ。
だから、練習内外でBや一年生とも積極的に話すし、ダルがらみするし、オフの日や練習時間が異なるときはほぼすべて教えに行くか参加した。(嫌だったらごめん)
別に打算的なことではなく、自分が戻ったからには、今までは分断されていたAとその他の壁を無くし、1つのチームとして上下関係実力関係なく、どんな感情をも共有できるチームにしたかったこと、ただ一つだ。
これより嬉しいことは、自分はまだ知らない。
完全に不満を取り除く力(権力&能力)はなかったけど、なんらかの形で役にたててたら嬉しいっす。
そんなところで、後輩から最近よく聞かれる「オフの日もBや1年練に来て暇なんですか?」、「4年間SSDMなんですか?」、「遊ばないんですか?」という質問に答えられました。
何とも情けないところをさらけ出したが、後輩たちには反面教師にしてそれぞれ頑張ってもらいたい。
最後に
今はどちらの意味でも「謝意」の気持ちでいっぱいだ。
予備校とラクロス部に誘ってくれた合田先輩。ごめんなさい。ありがとうございます。
応援および支援してくださる関係者の方々に心より感謝申し上げます。
特に同期には頭が上がりません。迷惑をかけた分、残りの試合で返します。
ウィンター後誰かに「弱いチームのスタッフでごめん」って言った記憶がある。
試合に出ている自分には、試合に出れないメンバーや後輩、今は業務連絡以外喋らないスタッフを「日本一のチームの一員」にする義務がある。
ここからは負けたら終わり。
ヒリヒリして楽しみだ。
戻ったからには例年通りじゃ終わらせない。
#67 SSDM 白取諒介