平素よりお世話になっております。
35期ブログのトップバッターを務めることになりました。4年の片山晃汰です。
はじめに、日頃より明治大学男子ラクロス部の活動にご支援・ご声援を頂いております、OB・OGの皆様、保護者の皆様、そして関係者の皆様に深く感謝申し上げます。
時の流れは早いもので、我々35期も最後の夏を迎えることとなりました。育成コーチだった颯太さん、洋輔さんに熱血指導してもらっていた頃が懐かしいです。
決起ブログですが、自分の想いを対外的に発信できる最初で最後の機会なので、自分語りも含めた少し真面目な内容になっています。ネタ要素満載の面白いブログは、星大やよしに期待しましょう。
長文かつ纏まりの無い文章ですが、読んでくださると幸いです。
前置きが長くなりましたが、そろそろ始めたいと思います。
最初に少し自分の4年間を振り返ります。
入部当初は本当にラクロスが楽しかった。早朝から練習に向かい、練習後は学校にも行かず、星大や航太郎と登戸の壁に何時間もいた。時間が過ぎるのはあっという間だったし、自分がリーグ戦で活躍する姿を想像してニヤニヤしながら過ごしていた。
しかし、対人メニューが始まってからは憂鬱な日々に変わった。
足は遅いし、身体は細いし、ダッヂ・ショットは下手くそだし。朝は早いし、チェックは痛いし、部費は高いし。雨の日に生田練がなくなることを誰よりも願っていたと思う。
本当にマイナスなことしか考えられなかった。
何よりも辛かったのが、サマーに向けてαを中心に士気が上がっていたチームと自分との熱量の差だった。自分だけが置いてきぼりにされている気分だった。
一緒に練習してきた星大や航太郎はαなのにどうして自分は違うのか。
結局サマーは敗退し、αの皆は涙を流していた。もちろんαの皆には優勝してほしかったけど、それよりもその涙を、その悔しさを分かち合えなかったのが何よりも悔しかった。
その後、OFから逃げるようにSSDMに転向した。
最初は、戦術理解から1on1に至るまでダメダメだった。
(「今もダメダメじゃん」とかいう心無い言葉はすべて無視します)
2年生の夏。相変わらず下手くそだったが、誰よりもグラボに寄ることを心掛けた。その結果、徐々に試合の出場時間が増えていき、Bリーグでも主力(?)として出場することが出来た。
4年間の中で、この年が一番ラクロスに夢中になっていた気がする。練習がきつくて疲労も凄かったけど、それ以上に自分の成長を感じることが出来たし、充実していた。
だからこそ、代替わりしたらAチームのレギュラーになるのも夢じゃないと思っていた。
しかし、現実はそう甘くなかった。代替わり後、あきおやよしがAチームに呼ばれる中、自分はずっとBチームだった。年明け後は、入部から数ヶ月しか経ってないりょうに序列を抜かされた。そこに加えて、腰の疲労骨折が発覚した。両方の腰椎を分離していたので、リハビリ期間も含めて全治半年以上を要することになった。
今年の1月に何とか復帰できたが、身体は全く思うように動かなかった。走り方、接点の持ち方、2枚見のやり方、グラボ・パスキャの感覚。ラクロスに関係するありとあらゆる感覚がリセットされていた。腰に少し負担がかかるだけで歩けなくなる程の激痛が襲った。お医者さんからは「君の身体とラクロスという競技が合ってないね」とまで言われた。
今までの大学生活を全て否定された気分だった。なんだよ、競技が合ってないって。
それでも「かちやまさんと一緒にプレーしたいです」「かちやまのプレーみたいよ」と言ってくれる同期や生意気な後輩たちのおかげで、引退試合出場を目標に、選手生命の最後を全力で取り組むことが出来た。最後は負けちゃったけど、同期の皆が声を枯らして応援してくれたこと、大好きな後輩たちと一緒にプレーできたことは一生の思い出になった。本当にありがとう。
自分語りが多くなっちゃいました。でも、もう少しだけ付き合ってください。
ここまでの話で分かると思いますが、私はスター街道を歩んできた「ラクロスエリート」ではありません。そんな私が部活を続けてこれたのは「みんなといるのが好きだから」
この言葉に尽きると思います。
綺麗ごとを並べて取り繕っているように思うかもしれませんが、本心です。
練習の帰り道、チャリ漕ぎながら喋った他愛のない会話も
メディア下で授業もないのに皆でだべっていた空間も
雨の日生田が決行になった瞬間の絶望の朝も
工藤や大輔、萱原、はるやと過ごしたリハビリの日々も
最後勝利で飾れなかった引退試合も
楽しい思い出ばかりではないけれど、ハスキーズに入ったからこそ経験できた唯一無二の思い出です。
A,B,C問わず、ラクロスやこの部活に対して悩みを抱いている人は結構いると思います。
結果が出ないうちから「結果が出るように努力しろ」とかいうのは無理な要求な気もします。そんな時は、焦らず、でも立ち止まらず、自分のペースで頑張ってください。悩みを周りに打ち明けてみるのもいいと思います。この部活で4年間過ごせてよかったと思える瞬間は必ず訪れるので。
だいぶ長くなっちゃいました。最後にみんなお待ちかねの個別メッセージタイムです。
家族
いつも相談に乗ってくれたり、金銭的に支援してくれてありがとう。あと少し頑張ります。
応援課
片山・せびそん・だいきの3人で始まった応援課は13人になりました。こっから忙しくなると思うけど、盛り上げまくりましょう。
なつきさん
21番という偉大な背番号を頂いたのにもかかわらず、結果で恩返しできず申し訳ないです。自分なりの形でチームに貢献しますので、これからも試合観戦に来てください!
よし ひびき
同期の中でも、この2人とはずっと一緒にいた気がします。巷では“渋メン”と呼ばれてますが、全く渋くないです。今年も旅行行こう。あと、恋愛相談にものります。
先輩方
お世話になった先輩方が多すぎるので今回は一括りにさせていただきます。特に34期の先輩方、ほんとお世話になりました。先日の引退試合や六大戦にも応援に来てくださり、ありがとうございました。一緒にふざけあっている時間が何よりも楽しかったです。
後輩たち
ずっとBにいた自分にとって、35期よりも長くプレーしたのは36,7期の皆です。岩橋とか小島とか里樹とか春川とか高倉とか、めちゃくちゃ生意気な奴ばっかりだけど、なんだかんだ大好きだし、ほんと上手になったなって思います。でも、練習中にちょけるのはやめましょう。がんばれ。
35期
楽しい時も辛い時も、すべての思い出に35期の皆がいました。結局、同期が一番なんですよね。引退試合が終わってからみんなが出迎えてくれたのは、自分にとって感極まる瞬間でした。自分としても、一戦力としてチームに貢献したいけれど、その思いはもう叶いません。
だから、託します。
一回でも多く“オー明治”を歌わせてくれ。日本一まで連れて行ってくれ。
そして、最後に全員で笑って、泣こう。
次は、ヤジこと矢島太耀です!
ヤジとはずっと同じチームで、橋口くんと共にガンマ戦士の1人です。10人くらいいたガンマ戦士も今は3人になりました。寂しいものですね。
彼には不思議な求心力があり、曲者だった36期OFも従順になるほどです。彼が内に秘めている想いを聞ける機会は今までなかったので、めちゃくちゃ楽しみにしています。それじゃ、よろしく!!
#21 片山晃汰