7年振りのFINAL4進出を果たした昨年を超え、学生日本一を目指していくうえで、HUSKIESの理念である「ONE HUSKIES」という言葉への理解を深め、より求心力のあるチームになっていくべく、OB・学生・コーチをまじえた対談を何度かに分けて設けてまいります。
初回は、小川会長・2期金子さんに、創設からの歴史やお2人の思うHUSKIESについて伺いました。
(聞き手:主将 4年合田、広報 4年福山・3年木内、GM 23期奥)
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【1】創部の経緯 / きっかけは早稲田大学の新歓だった
【2】当時の日本代表やラクロス協会の様子とは
【3】小川会長はなぜ会長を続けているのか
【4】これまでのHUSKIES、これからのHUSKIES
【5】お二人の思う「伝統」
【1】創部の経緯 / きっかけは早稲田大学の新歓だった
奥
「お時間をいただきありがとうございます」
合田
「父が体育会出身で、OB会によく足を運んでいるのを昔から見ていて、OBとのつながりというものが昔から気になっていたので、今日はお話を伺うのが楽しみです」
奥
「いきなり余談ですけど、小川会長と金子さんは、たしか中学校の同級生でしたよね?」
金子
「中高ね、大学では後輩になってしまった」
奥
「なるほど(笑) 長いお付き合いですね。」
小川
「金子には、大学に受かったと同時にクロスを持たせてた。当時は春のリーグ戦があって、土グラウンドだった和泉でもやってたんだけど、明治学院との合同チームで出ていて、入学から1ヶ月でその試合に出てもらった(笑)」
金子
「3:27くらいで負けたよね」
小川
「3点取ったことがすごい(笑)」
金子
「ジーンズで試合出てたやついたよね」
小川
「ユニフォームもまだ揃ってなかったからね、背番号手書きだったり」
奥
「30周年の記念誌にもありましたが、ご友人が早稲田大学でラクロスやってたのを見て明治にも作った、というお話でしたよね?」
小川
「細かくいうと少し違って、早稲田にもラクロス部はなかった。早稲田にいった同級生がいて、その友人のサークルの勧誘をなぜか手伝いにいっていた。」
奥
「ラクロスとは関係ないサークルの勧誘を手伝いにいっていたと」
小川
「そう。そしたらそこに、慶応のラクロス部が勧誘にきていた、お前の大学にもラクロス部を作らないかと」
奥
「ラクロス自体を広める活動を」
小川
「協会でも活動してる大久保さんや早川さん佐々木さんが来ていたと思う。そしておれにも声をかけてきて、おれ関係ない明治だと言ったら、明治にも作れと。
それでなんとなくサークル的に作って、野球とか音楽とか、他のサークルも顔出したりしてたけど、夏くらいにはラクロスに絞ったかな」
奥
「初めて知りました。そこに翌年金子さんが加わると。入学前から入部を決めてらっしゃったんですか?」
金子
「人数合わせよ(笑) とくに何やるかは決めてなかったから、地元の友だちがよく見たことない競技やってると思って、なんとなく行ってみた感じ」
奥
「そうなんですね、最初はなんとなくですか」
金子
「YouTubeとかもない時代に、よく始めたなと思う。何の情報もない中で、どこの誰が仕入れたか分からないVHSのビデオをダビングしまくってた」
小川
「ボブ・スコットの本をみんなで訳したよね」
奥
「ぼくその本持ってますよ」
金子
「みんなでちょっとずつ訳したから、日本語がバラバラなんだよね。しかも、他のみんなに、そもそもボブ・スコットが言ってることは正しいのかと聞かれたりして、他に教材がないから困ったりもしたけど、僕らにとってはバイブルだったね」
【2】当時の日本代表やラクロス協会の様子とは
奥
「金子さんは日本代表にも入られていたかと思います。当時のお話を伺えますか?」
金子
「91,92年にアンダー19で代表活動をさせてもらったかな。とにかく1勝が目標だった、海外に勝ったことなかったから。」
合田
「そういう時代だったんですね」
金子
「ただ、慶応の大久保さんがいろいろと情報を仕入れてくれて、どんどん戦術とかはレベルは上がっていたけどね。アメリカのサマーキャンプにいろんな学生を送り込んだりもしていたし。」
奥
「そんな取り組みがあったんですね」
金子
「小川会長や僕はホプキンスにいった。夏休みにアメリカのサマーキャンプにいって、練習1週間、遊び3週間、みたいな感じ(笑)」
奥
「ホプキンスって今でもラクロス強い名門ですよね」
金子
「ホプキンスのサマーキャンプだけど、ホプキンスが相手してくれるわけじゃないよ」
小川
「現地の中高生が集まってホプキンスのコーチが教えてくれるとこに、我々も混ぜてもらっていた」
奥
「そういうことですか」
小川
「でも、彼らは小さいときからラクロスをやってるから、いろいろ学ばせてもらった。毎年何十人って受け入れてもらってたな。」
【3】小川会長はなぜ会長を続けているのか
合田
「小川さんがずっと会長として関わり続けてくださっている理由も、ぜひ伺ってみたいです」
小川
「ここまで続けようと思っていたわけじゃないけど、自分が卒業するとき、自分が作った部活に入ってくれた後輩たちが少ないながらもいたので、卒業後も合宿に顔だしたりしながら、OBどうしの集まりも、尻すぼみにならないようにやってきたのが、今でも続いている感じかな。自分が作った手前、というのが大きい。」
合田
「自分たちの代になって気付くことですが、大学の方とのやりとり等、お仕事もある中で本当に大変なことをやってくださっているなと思います」
小川
「体育会になったというのと、コロナは大きい。いま、体同連は活動できていないみたいだし、体育会もコロナ禍で揺れていたので、監督という立場で自分が現場に出ていた方がいいと思って、いろいろ入り込ませもらっている。」
合田
「本当にありがとうございます」
小川
「体育会としての存続という意味で、今年の新歓はすごく大切。2年生少ないからね。人数が少ない状態が続いて、万が一、二部に落ちたら、一部に上がるのはすごく大変だし。」
奥
「私が学生のときから会長にはお世話になってましたが、今年またチームに戻ってみたら、会長と9期達也さんと学生のグループLINEがあって、やりとりがめちゃめちゃ頻度高くて、体育会になったこともあって、より一層支援してくださっているんだなと感じました」
【4】これまでのHUSKIES、これからのHUSKIES
奥
「2017年にONE HUSKIESという理念が策定されましたが、HUSKIESというチームについて、お2人はどうお感じになってますか。」
小川
「そもそも、自分が学生のときはHUSKIESというチーム名はなかった。後々、2期の新名がコーチかGMかをやってるときに作ったのかな、たぶん。」
金子
「他の大学も、そういうサブネームみたいなのはなかったね。ワシントン大のアメフト部のカラーが明治と同じ紫で、名前がHUSKIESだったから、真似したんじゃなかったかな」
小川
「気づいたらHUSKIESになってた感じ(笑)」
奥
「そうだったんですね」
金子
「円陣での掛け声で、1・2・3明治大学!っていうのもしっくり来ないから、言いやすいHUSKIESにしたんじゃないの(笑)」
奥
「そうすると、HUSKIESというチーム名そのものには、自分たちが作ったという強い思い入れがあるわけではないかもしれませんが、ラクロス部、として考えた場合では、いかがですか?」
金子
「これはラクロス界全体に言えることだと思いますが、さっき話したように、何もないところから始まったのが日本のラクロス。自分から外に出て、自分から聞きに行き、自分から何かを得ようとする精神は、これからも大事にしてもらいたいなと思いますね」
小川
「新歓のうたい文句で、大学から日本代表にっていうのがあるけど、そういう、大学に入って自分たちの力で新しいことをやっていくっていう精神じゃないかな。学生スポーツとしてのカレッジスポーツであるという。」
奥
「たしかに、今となってはHUSKIESも体育会になっているし、YouTubeやSNSで上手い人の映像もたくさん見ることが出来て、それが当たり前になっていますが、もとはそうじゃないですもんね」
小川
「あくまで学生主体という感覚が大事。学生主体で何を成し遂げるか、そこに価値がある。」
合田
「黎明期に始まって2部の時代も1部の時代も、いろんなHUSKIESを見てこられたお二人から、これからのHUSKIESに求めることはあったりしますか?」
小川
「勝つこと、強いチームであること。そうしないと応援されない。そういう意味で、去年はFINALでも勝てるチームだと思っていた。それを見ていた心平たちも、きっと良いところまで行けるはず。」
合田
「がんばります」
小川
「これからという点でいうと、関東制覇と言わず、是非日本一になってほしい。体育会になれたのは、女子が日本一になってくれたおかげと言ってもいいくらいなので、是非男子も頑張ってほしい。これから、という意味で大事なのは2,3年生だろうね」
金子
「去年のFINAL4の慶應戦は、YouTubeで見させてもらって、僕らの時代と比べるのもナンセンスだと思うけど、技術もすごく高まっていて、2年前のリーグ戦で慶應とやった試合も見たけど、そのとき以上に、流れも良くて、慶應とも全く見劣りしないと改めて思ったね。」
奥
「去年は本当に惜しかったです」
金子
「ぼくの同期の安岡は、宇宙一を目指そうとか冗談でよく言うんだけど、せっかく技術も高まっているのだから、是非日本一を目指し続けてほしい。そして小川会長もおっしゃったように、母校が強い方が嬉しい。会長や僕は、強くなくても見にいくだろうけど、強い方がより人が集まる。」
「あとは、他の大学とか見ても、戦術や戦い方が似てきてる気がしていて、海外のラクロスとかもっと分析して、流れを乱すような存在になっていってほしいですね。」
「まあ、万が一2部に落ちようが、僕はビール飲むために応援しに行きますけどね(笑)」
奥
「そのときはご一緒させてください(笑)」
【5】お二人の思う「伝統」
福山
「明治らしさや伝統についてはいかがでしょうか」
小川
「歴史を踏まえて横山(11期)や亮二(13期)が中心になってまとめてくれたONE HUSKIESに集約されてるとは思う。個人プレーではない、チーム競技としてひとつになっていくことは、HUSKIESという名前の由来でもあるし、大切にしていってほしいね。」
金子
「僕らの時代には、当然伝統も何もなかったし、考えてもいなかった。伝統というのは、積み重ねで出来ていって後から気付くものだと思ってるので、そういう意味では、20年30年経って、ONE HUSKIESという言葉が出てきたのであれば、それが伝統だと思う。」
「でも結局、グラウンドに立つ学生みんなが、勝ちたい、強くなりたいと思って、追い込んで、やりきって、その中で生まれてきた言葉が意味を持つんだと思ってます。」
木内
「マネージャーやスタッフの歴史はどうでしょうか?」
金子
「マネージャーなんかいませんでした(笑)」
「入ってくれた人はいたけど、僕らもマネージャーという役割の人に何を担ってもらうべきか分からなかったし、確立できなくて辞めていってしまった」
小川
「だから試合中のタイムキーパーはゴーリーのおれが腕時計でやってた(笑)」
奥
「そういう意味では、マネージャーやスタッフの役割や体制を作ってきてくださったOGの方に感謝ですね」
小川
「6期にマネージャーが2人いて、そのあたりから少しずつ体制が出来ていった感じかな」
木内
「そうだったんですね。ありがとうございます。」
奥
「そろそろお時間ですね、1時間も貴重なお話をありがとうございました。」
金子
「応援しています、頑張ってください。」
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【対談を終えて】
新たな試みとしてOB、現役との対談というものを行わさせていただきました。
三部作に渡り、公開予定となっております。
今回の対談では、私たち現役がこれまで知らなかった、ハスキーズの起源のリアルな話を伺うことができました。
これまでOBの方々が繋いできてくださいましたハスキーズの歴史を、私たちがさらに良いものにして次に繋いでいくことが大切だと感じました。
貴重なお話をありがとうございました。
(福山)
【次回の対談】
次回は、対談企画②「〜HUSKIES初のファイナル4は如何にして達成されたのか〜」を3月21日に投稿予定です。そちらも是非ご覧ください。