平素よりお世話になっております。
4年ATの川谷龍正と申します。
まずはじめに、日頃から多大なるご支援を頂いているOB、OG、関係者の方々に感謝申し上げます。
長く拙い文章ではありますが、最後までお読み頂けると幸いです。
入部したての頃の自分は下手な部類だった。
高校野球で身に付けたヘンテコなバッティングフォームの癖が、ラクロスでも出てしまっていたのだ。
動画で自分のショットフォームを撮っても「変なフォームだな〜」とつい笑ってしまうくらいだった。
でもその分伸び代があると自分に言い聞かせているうちに、成長していく過程を心の底から楽しめるようになった。
全体練習が終わった後すぐに同期と一緒に多摩川の河川敷に行って日が暮れるまで壁当てをしたり、生田練の時には12時に全体練習が終わってみんなが帰った後、19時まで1人で残ってシュー練をしていた。
これは部内で歴代最長記録の自信がある。
このように「時間を忘れて没頭できる」ことがラクロスの1つの面白さであり、多くのラクロッサーが1度は経験したことのある醍醐味ではないかと思う。
そうしてラクロスに没頭する中で、幸運なことに1年生の冬に19歳以下の日本代表に選んで頂いた。
年齢制限があったため非常にラッキーな形であったが、それまでの努力を評価されたことが素直に嬉しかった。
4年間で最もモチベーションが高かったのはこの時期だと思う。
その直後、2年の春に足の怪我をしてしまい手術をすることになる。
手術が決まった当初、なぜか心に余裕があった。
「1年生の頃にあれだけ基礎を固めてきたんだから、きっと復帰後もそれなりにやれる。」
でも時間が経つにつれてその余裕はどんどんなくなっていった。なぜなら同期が途轍もないスピードで上手くなっていくからである。
入院先のベッドで見るリーグ戦のyoutube配信は精神的に辛かった。
画面越しの同期が2年生ながらリーグ戦に出場し、しかも活躍している。
焦った。
同期は日に日にラクロスが上手くなっていく一方で、自分は術後のリハビリで階段の昇り降りに四苦八苦している。
この時初めて怪我をしたことの重大さに気づいた。
実質3年半ほどしかない学生ラクロスにおいて、怪我による長期離脱は大きな意味を持つ。
戦術に対する理解やフィールド感覚という面で周りから大きな遅れを取ることは勿論、手術を伴う場合は復帰後100%でプレーできるとは限らない。
取り返しのつかない後悔とこのまま周りとの差を埋められずに引退してしまうのではないかという先の見えない不安から、入院中1人で泣いたこともあった。
こうなったら復帰予定の3年夏に向けて今できることをやるしかない。
壁当てもシュー練もできない中、復帰後のイメージを固めるためにPLLの動画を毎日何時間もひたすら見た。
lyle thompsonやmatt ramboをはじめ、様々な海外選手の動画をスローにして何度も再生した。
そうしていいプレーイメージを蓄積していくうちに、頭の中の自分はいつの間にか欠点のない万能プレイヤーになっていた。
キレキレのステップワークと豊富なシュートバリエーションで得点を量産し、時には精密機械のようなスキップパスで相手を撹乱する。
今となっては恥ずかしいが、復帰後の自分が楽しみだった。
また復帰直前の3年春頃に関東ユースの正式メンバーに選んで頂いたことで、ラクロスに対するモチベーションがさらに上がった。
今思えば最後の選考が1年生の頃だったため、3年生になって改めて選考されていたら確実に落ちていた。これも運に恵まれた形だった。
こうして怪我明けとは思えないほどの高いモチベーションと完璧なプレーイメージを持って迎えた3年夏の復帰初日。
あれ、なんでだろう。
1年の頃と何も変わってない。
1on1は後輩に簡単に止められ、復帰前にイメージしていた精密機械のようなスキップパスはすっぽ抜けて普通ならありえない方向に飛んでいった。
まあまだ復帰して間もないし、頭の中でイメージしてたことを体に染み込ませるのはこれからだから焦らなくていい、
4年の六大戦から活躍できればいい、
そう自分に言い聞かせた。
結論から言うと、六大戦もリーグ戦も活躍どころかほとんど出場できていない。
六大戦はvs東大でキャッチミスとパスミスをしたことしか記憶にない。
今年のリーグ戦は5試合で出場時間0秒。
半年以上かけて頭の中で作り上げた万能プレイヤーはただの幻想だった。
3年夏の復帰後今度は逆足を怪我したりと度々離脱しながら、3年生の間は何とかBリーグに出して頂いたがずっと中途半端。
残りが1年しかない中でもう同期には追いつけないという諦めの気持ちが強くなり、ラクロスから気持ちが離れていった。
モチベーションが上がらない中で最低限必要なことは継続してきたつもりだが、全て「仕方なくやる」という意識から抜けられなかった。
こうした辛い時期こそもっと粘るべきだったが、怪我を言い訳にしてずるずるとここまで来てしまった。
長期離脱したからではなく、自分に妥協したからこうなってしまった。
これが1番の後悔である。
4年生になってからも実力が伸びることはなく、基本的にはBにいながらAで怪我人が出た時に補充要員としてAに上がり、怪我人が復帰したらまたBに戻るという一連の流れを何度も繰り返した。
Aに行った時は得点もアシストもしないくせにミスを連発する。
周りに迷惑をかけ続け、自分のプレーには1ミリの自信もなくなっていた。
このままだとAでリーグ戦を迎えるのは厳しいだろうとほぼ諦めていた。
でも今は奇跡的にベンチに入れてもらっている。
メンバーとして、同期と一緒にラクロスができる環境にいる。
本当にありがたいことである。
1年生の頃4年生のプレーを見て憧れていたが、今もその気持ちは変わっていない。
練習中同期たちの上手すぎるプレーを見ては、1年生の頃と同じような感情になる。
そんな同期に憧れてる自分が情けないし悔しいが、上手すぎる同期のおかげでこの代ならfinal4突破、日本一を本気で目指せると思えている。
でも次の武蔵戦で負けたら日本一どころかその場で引退である。
ここで勝つか負けるかは、俺らだけでなく今後のHUSKIESにとっても大きな意味を持つと思う。
まずは3年連続final4を決めて、3度目の正直を果たそう。
俺らと一緒に日本一を目指して下さるコーチの方々、昨年一昨年とfinal4で敗れた先輩方、選手ではなくコーチの道を選んだ同期3人の思いを背負って、
必ず勝とう。
日本一のチームならベンチだって全然いい。
#56 4年 川谷龍正